2008年12月22日

[cinema]地球が静止する日

年末公開の中でもっとも期待し,どんだけすばらしい古典SFが観られるのかとワクテカしていただけに,軽く凹んだSF映画。

この映画が伝えたかったメッセージというものは,自然破壊をする人類に対する警告がうーたらこーたらっていうありきたりなもんなので,漠然とではあるが伝わってはくる。ただ問題なのは,この映画で描かれるような危機が作中から伝わってこないこと,そして何よりも,キアヌーが語っていた「これはドラマだ」という言葉は気安く言うべきではなかったな,と思える「体は人間,頭脳は宇宙人」なキアヌー演じるクラトゥとしょーもない親子の交流劇。

自然破壊がどうのとかは,もはや映画を観る前提条件みたいなものになっている印象が強い。まぁ,どの映画でも多少なりとも前提条件みたいなものがあるもんだと思うけど,これは映画の基盤となるところまで観客の予備知識を要求してくる。その予備知識そのものは現代では常識になっているのかもしれんが,それでも作中でその辺を描かないのは怠慢じゃないかね,と思う。

クラトゥと義母&生意気なガキがタッグを組んだベンソン親子との交流劇もお粗末なもん。

ジェニファー・コネリー演じるヘレンとクラトゥの出会い,そして二人の交流は若干唐突さはあるが,最低限の交流は描けていると好意的に解釈。だが,息子のほうとの交流は唐突どころの騒ぎじゃない。

クラトゥが宇宙人だと知った息子はというと,ヘレンに向かってなんで殺さないのか,とか何かと物騒なことを口走ってたのに,クラトゥが自分を攻撃しようとするヘリを墜落させたシーンを目の当たりにして恐怖で逃げ出すし,逃げてる最中に川に落ちそうになったところをクラトゥに助けられたら,あっさりといい人認定したのか,自分を家まで送り届けてほしいと頼み込む厚顔無恥ぶり。さらにすばらしいことに,だいぶ前に死んだ父親を生き返らせてほしいとかいう無茶な頼みまでし,それは出来ないと言われたら逆ギレ……。お前は一体なんなんだと。

で,さらに理解できないのが,そんなふざけた息子と,クラトゥに友好的とはいえ大したことをやってるようには見えなかったヘレンに何故か懐柔されるクラトゥ。はたしてこの親子のどこに,一度人類を滅亡させる決意を覆すほどの要因があったのか,さっぱりである。いや,今は地球を破壊するだけだが,いつか必ず人は変われると確信したからってのは劇中の台詞からも分かるんだけど,それを確信するだけのものを,あの親子が見せたとは到底思えない。

なんつーか,このまま全滅させて映画終わらすのは大作映画としてまずい→だけどクラトゥが考えを変えるようないいシーンが思いつかない→男は女と子供の涙に弱いよな→なので子役を泣かせて義母も子供を抱きしめて泣くことで情に訴えることにしました,という,めちゃくちゃ安易かつ強引さな形で〆てる。これで人間ドラマとか言われても困りもの。

近未来の技術がたくさん出てくるようなSFを期待したわけじゃない。むしろ『宇宙戦争』のような古典SFを現代を舞台に最新技術で描く,という趣旨に大いに期待したわけだけど,どうやらそれは過度な期待だったみたい。映画を観る前,既に公開された米のほうで評判が悪いと聞き,あっちの人間は分ってないな,とか上から目線でいたのが今では懐かしい。


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原題:The Day the Earth Stood Still
監督:スコット・デリクソン
脚本:デビッド・スカルパ
出演:キアヌ・リーブス,ジェニファー・コネリー
公式サイト:http://movies.foxjapan.com/chikyu/
タグ:映画 SF ドラマ
posted by タク at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年鑑賞映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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