2006年11月25日

[cinema]トゥモロー・ワールド

原題:Children of Men
監督:アルフォンソ・キュアロン
脚本:アルフォンソ・キュアロン,ティモシー・J・セクストン
撮影:エマニュエル・ルベッキ
出演:クライブ・オーウェン,ジュリアン・ムーア,マイケル・ケイン他
公式サイト:http://www.tomorrow-world.com/


人類に子供が産まれなくなって18年が経った西暦2027年。子供が産まれなくなったことにより,未来への希望を見失った人々が暴徒と化し,世界中の国家が崩壊状態になった中,唯一イギリスだけが治安を維持していたが,同時にその治安維持のために敷かれた政策に不満を持ったテロ活動なども行われる状態へとなっていた。

同年11月18日――。世界最年少の少年・リカルドが刺殺されるという事件が起きた。その事件は人々に悲しみと更なる絶望をもたらしていた。そんな絶望の中,小さなカフェに寄ったセオ(クライブ・オーウェン)は小規模の爆弾テロを間近で体験したことでショックを受ける。
そんな彼はある日,"フィッシュ"と呼ばれるテロ集団によって拉致される。その"フィッシュ"の中には,セオのかつての妻・ジュリアン(ジュリアン・ムーア)がおり,彼女はセオにキーと呼ばれる黒人の少女を存在すらも怪しまれている"ヒューマン・プロジェクト"と呼ばれる世界的組織に保護させるための協力を依頼してきた。
最初こそ断るものの,ジュリアンへの想いから彼女に協力するセオ。果たして彼らはキーを無事"ヒューマン・プロジェクト"に届けることができるのか。

感想:
所謂大人が観る映画というのは,大体が子供が映し出されないものも多く,それ故に子供を映さないだけでは「子供がいない世界」というのを状況説明されたとしても,普段から子供が出てこない映画を見慣れていると,あくまで設定という程度の認識しかされないと思う。

だが,この作品の肝は「子供が生まれないことによる未来の絶望」と「混沌とした世界」を観客に強く認識させなければならない。そのため,子供が生まれなくなり,未来に対する絶望や混沌の世界を映像化するに当たり,本編では常に青いほの暗く,映像としての不鮮明さを徹底することによって,この映画の世界が持つ未来への絶望や閉塞感を表現していたと言ってもいい。
また,映像と相まって役者たちが演じる人々が常に焦燥とし,目に明日への希望もない暗さを宿らせることによって,よりリアリティを生み出している。

序盤,その希望を見出せない世界を描くことを重視しているためか,テンポがとてもゆったりとしている。映像のほの暗さも相まって眠気を誘いそうになってしまうため,眠い状態で本作を観に行ってしまうと,序盤のところで睡魔に襲われてしまう可能性もあろう。だが,中盤あたりから映画の物語は加速度的にテンポよく展開されていくし,このゆったりとした中で本作に漂う絶望・閉塞感を強く実感させてくれるため,なんとか眠らないようにしていくとよい。

中盤に差しかかろうとする頃,序盤のゆったりとした展開からは想像がつかないくらいの展開が待っている。キーと呼ばれる少女を"ヒューマン・プロジェクト"と呼ばれる組織に保護させるために車で護送するシーンだが,その護送中に暴徒と化した集団に襲われるシーンでは,圧倒的な迫力と恐怖を感じさせ,こちらまで暴徒によって殺されてしまうのではないかと身を竦ませてしまうものがあった。このシーンはとても重要で,後の逃亡劇に対する緊張感を生み出すに十分なだけのものがあった。

中盤からは,これまで絶望をいだいていたセオにある変化が訪れる。それは,キーが妊娠していることを明かされたシーンであり,そこに流れる音楽による演出もあってか,妊娠しているという事実に,セオと同様に驚きを感じ,またそれまで死んだような目だったものが一変して生きる希望を,未来への希望を見出すシーンは,中盤の名場面であろう。そして,ここからはキーを"ヒューマン・プロジェクト"に送り届けるために逃走劇が始まる。その展開はとても早いながらもただの逃走劇でしかなく,その点では特別なものは何もないのだが,その目的が「未来への希望を守るため」であることにあるため,想像以上の感情移入をもたらしてくれた。

終盤,逃走中にキーが子供を生むが,そのシーン自体はとてもあっさりとしていて,新たな生命が誕生したという感動は特にはなかった。
だがその新しい生命が誕生したことが,この映画の終盤に訪れる圧倒的なまでの映像によって描かれた6分以上の戦闘シーンに強烈な演出をもたらすのである。その6分間の戦闘シーンでは,周囲が武装し,圧倒的な火力による戦闘を繰り広げている中,たった一人,武装も何もなしにただ一人の人として連れ去られたキーとその子供を助け出そうとするのだが,ハンディカム・カメラによるワンカットで描かれたその映像と音響には,映画史に残る名シーンとして語り継がれるプライベート・ライアンの映像に匹敵するだけのものを感じた。この映像を観るだけでも,この映画を観る価値があるだろうと思えるくらいである。しかし,そんな映像すらも陵駕するだけのカタルシスや,絶望や閉塞感からの開放感を演出するためのものであったのだと思わせるラストが待ち受けている。不覚にも,そのラストに号泣しそうになったくらいである。

このトゥモロー・ワールドは,本年の中でもトップクラスの映画であった。年末に映画に観に行こうとするのなら,必ず観て後悔はしないので強くおすすめしたい1本である。
posted by タク at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 2006年鑑賞映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。